【凪の物語 #4】父が死んで、真っ先に財布を覗いた親族たち。
2026-04-30
婚約したことを父に伝えた、わずか一ヶ月後のこと。
父が死んだ。 闘病していたわけでも、事故に遭ったわけでもない。
あまりにもあっけない、突然死でした。
その翌日、父の番号から着信がありました。
画面に浮かぶ「パパ」の文字。
電話口から聞こえた叔母の声。
「お父さんが亡くなったのよ」
父のことが大好きだったわけではないけれど、それでも、内臓を素手で掴まれるような悲しみと苦しさが込み上げました。
母に伝えると、母は私よりも派手に泣きました。
「家に連れて帰りたい」という願いさえ、聞き入れられない。
すぐにでも会いに行きたかった。
せめて、住み慣れた家に連れて帰ってあげたかった。
けれど、親族たちは冷酷でした。
遺体は安置施設へ移動させるから、そっちに行けと言うのです。
「お願い、おばあちゃんちに連れて帰ってあげて」 何度も何度も、泣きながら懇願しました。
叔母に断られても食い下がらずにいたら、最後には叔母の旦那が電話口に出ました。
「無理なもんは無理なんです」 淡々と、少しキレ気味に言い放たれた言葉。
実家暮らしの私には、離婚した母の家に父を連れていく権利も力もなく、ただその決定に従うしかありませんでした。
15年間、父の親族と交流はありませんでした。
当然のことなのかもしれないけれど、彼らは私を「娘」ではなく「余計な部外者」として扱いました。
無機質な壁に「収納」された父の、あまりの冷たさ。
その日の夜、父が安置されている場所へ向かいました。
そこは刑事ドラマで見るような、白く無機質な部屋。
父は壁の中に、まるで荷物のように「収納」されていました。
引き出された父の体に触れると、驚くほど冷たい。
たった一人で、大きな冷蔵庫のような場所に閉じ込められている父。
それがたまらなく哀れで、私は自分のバッグにつけていた小さなぬいぐるみを、そっと父の傍に置いてきました。
せめて、独りぼっちじゃないように。
遺体の前で繰り広げられる、醜い「金の計算」。
葬儀は、お通夜なしの一日葬。
喪主は祖母で、費用は叔父が出す。
私には何も決めさせてもらえないまま、全てが事務的に進んでいきました。
葬儀の前日。
近親者だけで集まると言われ、私は15年ぶりに敵陣へ丸腰で乗り込みました。
小学生だった私は、もう28歳。
小さく老いた祖母、昔と変わらず騒がしい叔母たち。
あろうことか彼女たちは、父の棺の前で、生前の父の借金や迷惑がいかに大きかったかを語り始めたのです。
その中で唯一、叔父だけが違いました。 かつての傲慢さは消え、高価な遺品を盗んだ叔母を叱り、「父の前で借金の話をするな」と私を庇ってくれた。
「急にどうしたの?」と思ったら、叔父は末期癌でした。
人は死を目前にしないと、優しくなれないのでしょうか。
剥き出しになる、人間の本性。
叔母から手渡された父の遺品。
財布の中には免許証こそあれど、現金は一円も入っていませんでした。
定職に就いていた60歳の男性が、所持金0円なんてことがあるはずがない。
「くすねるなら、もう少し上手くやりなよ」 軽蔑の念が湧きましたが、私は何も言わずに黙ってその場を後にしました。
後日、父の携帯の請求書を見てさらに驚きました。
死んでいるはずの父の通話料が、バカ高くなっていたのです。
叔母が自分の用事で使い倒したのでしょう。
人の死すら、彼らにとっては「利用できるチャンス」に過ぎないようでした。
たった一人の「侍」を支えてくれたのは、父の悪友だった。
葬儀当日。
15年ぶりに現れた私は、親族たちにとって格好の「見せ物」でした。
ヒソヒソという噂話が、焼香の煙と共に私の周りを渦巻きます。
棺の前で悪口を言っていたあの叔母が、「泣いていいのよ」と薄っぺらな優しさで近づいてきました。
私はその手を振り払いたい衝動を抑え、冷たく言い放ちました。
「結構です」
絶対にこの人たちに弱みを見せない。
肩なんて借りない。
たった一人でこの敵陣をやり抜く。
その時の私は、悲しみに暮れる娘ではなく、一人の「侍」でした。
火葬場でも、親族は私を孤立させました。
そんな私を救ってくれたのは、風の噂を聞きつけて勝手に(!)駆けつけてくれた、父の地元の悪友たちでした。
親族にバス乗車を拒否されても、彼らはタクシーで追いかけてきてくれた。 火葬を待つ孤独な時間、私の側にいてくれたのは、血の繋がった親族ではなく、得体の知れない「父の悪友」たちだったのです。
遺品整理で見つけた、父の本当の心。
数日後、婚約者を連れて遺品整理に向かいました。
叔母たちは相変わらず、金目のものを探して目を光らせていました。
彼女たちに渡すのだけは絶対に嫌で、叔母たちが見つけコソコソと隠しているブランド品を、バカな娘のフリして、正々堂々と自分のバッグに入れました。
父の狭い部屋は、モノは多かったけど綺麗に整えられていました。
そして、その壁には、別れた母の写真と、父が私のために描いたと思われる薔薇の絵が飾ってありました。
父の想いすら踏みにじり、私が受取人になっていた微々たる保険金まで自分たちで着服しようとしていた叔母。
私は、父の死を通して、人間の醜さを学びました。
全てが終わり、私は父方の親族と静かにもう一度縁を切りました。