【凪の物語#1】幼少期:なぜ私は「幸せな娘」のフリを続けたのか
2026-04-17
都心の名家の長男として、夜の世界に生きた父。
貧困から這い上がり、クラブのママとなった母。
その間に「ひとりっ子」として生まれたのが、私でした。
■祖母が「母」だった幼少期
両親は平日、夜の街へ消えます。
生後すぐ職場復帰した母に代わり、私を育てたのは明治生まれの祖母でした。
卵から還ったばかりの雛が、最初に見たものを親と認識するように。
私にとって「世界で一番大切な人」は、母ではなく、祖母でした。
祖母の帰省についていき、実の両親と数ヶ月離れて暮らす。
そんな日々も、私にとっては当たり前で、何より安心できる時間だったのです。
■「母の自慢」という名の檻
言葉の発達が早かった私は、いつしか周囲から「賢い子」と目されるようになりました。
勉学の成績が上がるにつれ、私は母にとっての「自慢の娘」という役割を担わされていきます。
小学校受験の失敗。
「水商売」という家業を理由に突きつけられた、不合理な不合格。
幼いとはいえ、普通なら、悔しくて泣いてもおかしくない場面です。
「パパとママのせいでごめんね」
そう言われても、私の心はどこか冷めていました。
■死んでいた私の感情
美人な母と容姿を比べられても。
「絵が下手ね」「足が遅いのね」とけなされても。
悲しいとも、苦しいとも思わない。
褒められても、馬鹿にされても、感情が動かない。
この頃、私はすでに自分の「心」に鍵をかけていたのかもしれません。
■優等生の仮面と、ささやかな抵抗
小学校4年生。
塾へ通い始めても、私の空虚さは変わりませんでした。
講義中に漫画を読み、家では一切勉強をしない。
それでもテストの点数だけは良く、学校では「優等生」、家では「自慢の娘」を演じ続けました。
中学受験の本番直前。
御三家A判定が出ていたにも関わらず、私は自ら志望校のランクを下げました。
母にも先生にも全力で止められましたが、私は自分の意思を貫きました。
その時の心理は、今でもはっきりとは思い出せません。
ただ、すべてが母の思い通りになることへの、言葉にできない「ささやかな抵抗」だったのだと、今は思います。
■1ミリも動かなかった合格発表
結果は、合格。
合格通知を手に喜ぶ母の横で、私の心は1ミリも動きませんでした。
嬉しくも、なんともない。
ただ、決められた役割を一つこなしただけ。
中学へ進んでも、私の「感情なき優等生」としての歩みは止まりません。
けれど12歳の春、私は「守られるべき子ども」であることを静かに手放しました。
何かを取り戻すためではなく、ただ、この歪な日常を生き延びるために。
そしてその決意をあざ笑うかのように、運命は加速していきます。